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農の匠を訪ねて|VOL.07

【パルファンドゥ】

農の匠VOL.07|パルファンドゥ

丹精込めたぶどうの粒の輝き、彩り。美しさとおいしさの素敵な関係にときめきます!

私達が作っています|パルファンドゥ 飯野 公夫 さん

ぶどう農園「パルファンドゥ」を営む飯野公夫さんは、ぶどう生産14年。日本有数の巨峰生産量を持つ信州・東御市が、その伝統と技術を継承していくために募った就農希望者の一期生として茨城県から移住し、ぶどう農家となりました。技術を磨き、経験を重ね、そして地域とお客様の信頼も確立し、巨峰を中心に約10種類のぶどうを、「品質第一」にこだわって生産しています。スチューベンの黒、巨峰の深い紫、安芸クイーンの赤など、飯野さんの畑を彩るぶどうは色とりどり。宝石のような輝きと、完熟ぶどうならではの濃い味わいが、お客様を笑顔にすることを信じ、日々の作業にいそしんでいます。

山に囲まれた風土と寒さにびっくり

祖父母が営む野菜や米の生産をいつか引き継ぐつもりで、農業に関係する仕事に就いた飯野さん

飯野公夫さんは茨城県出身。勤め人の家に生まれ育ちましたが、祖父母が営む野菜や米の生産をいつか引き継ぐつもりで、農業に関係する仕事に就きました。当時、交際していた彼女(現在は結婚してご夫妻になりました)と仲の良い同僚のご主人が、信州東御市の出身だったことから、東御の地が飯野さんにとって身近な存在に。地域がぶどう生産者を継承する就農者を募集しているという情報も耳にしました。

飯野さんが信州・東御の住人となったのは26歳のこと

飯野さんが信州・東御の住人となったのは26歳のことでした。地域のことを何も知らず、知り合いもなく、ぶどう生産の知識も技術もゼロの状態で訪れた東御市で、果たして生活していけるのかどうかが、まず飯野さんの課題になりました。

新規就農者として環境のことなる地で暮らしていくのは非常に大変でした

飯野さんを驚かせたのは、この地域が「坂ばかり」であること。冬があまりにも寒いこと。さらに、周囲を見渡せば360度高い山が視界に入ってくること。地元の人々にはごく当たり前のことが、環境の異なる地域で生まれ育った飯野さんには驚きと不安になりました。新規就農者を受け入れ、里親制度でぶどう生産者に育てるという取り組み自体も、まだ始まったばかりで、試行錯誤の段階でした。

決して手を抜かず、ていねいに、丹念にぶどうをつくる。その基本が、現在の「パルファンドゥ」のぶどう栽培に息づいています。

彼女を呼び寄せ、ファーマーとして暮らしていくことを目標に、飯野さんはぶどう生産の達人である里親から技術を学び、それを忠実に再現する技術を身につけます。決して手を抜かず、ていねいに、丹念にぶどうをつくる。その基本が、現在の「パルファンドゥ」のぶどう栽培に息づいています。

ここが【匠】のポイント

安定した生産体制と品質が信頼に

パルファンドゥ 飯野 公夫 さん

修業を終え、いよいよ就農というときになって、今度は飯野さん自身の経験の浅さが土地を借りるにあたってのハードルとなりました。数年で飽きて、すぐに帰ってしまうのではないかという地元の人々の不安もあり、最初はなかなか条件のいい畑を借りることができません。里親に厳しく仕込まれた技術を発揮しようにも、環境が異なるため、一つ一つが手探りで、試行錯誤。苦しい時期が続きました。今、東御市が新規就農者を積極的に受け入れ、地域ぐるみで支援していく取り組みが確立している背景には、制度初期の飯野さんたちが経験し、乗り越えてきた苦心と苦労があったのです。

まじめに、ひたすらコツコツとぶどう栽培を続けていた5年目のこと。飯野さんは、ありったけの資金をはたいて畑を増やし、もう後がないという気持ちで栽培に取り組みました。その年、飯野さんのすべての畑は豊作でした。質のいい、輝くような巨峰がたわわに実りました。東御の大地と自然が飯野さんを仲間と認めてくれたかのようでした。

飯野さんは、「やさしい香り」という意味のフランス語「パルファンドゥ」を農園名とし、いよいよ本格なファーマーとしての人生を歩み始めます。畑の面積を増やし、栽培するぶどうの品種を増やし、友や仲間を増やし、より品質のいいぶどう、よりおいしいぶどうを生み出そうと、毎年、工夫を加え、技術向上に取り組んできました。

「始めた当初とは環境がずいぶん変わりました。でも、自然に左右されるものですから、油断は禁物。基本をていねいに守りながら、経験を生かし、よりよい方向をめざしていくのみです。常に誠実な気持ちで、お客様が食べたい、欲しいと感じてくださるようなぶどうを作り続けていきたいと思っています」

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